餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

たられば

 そう、昨日私は二銘柄とも乗り逃がしてしまった。目を付けていたものがどんどんと値が上がっていく時の絶望感。本来なら一度や二度。いや何度乗り逃がそうと次の機会を待つだけでいい。それだけで無理に乗って損を重ねるよりずっと建設的だ。市場に参加している限り、損小利大のタイミングが必ず巡ってくる。市場で勝つつもりならば待てる人間じゃないと退場待ったなしだ。

 しかし、これも自己を正当化しているだけなのかもしれない。

 駆けあがっていく値段を追いかけていれば、もしかしたら利益がでたかもしれない。

「たら」「れば」

 過ぎた後でどうすればよかったのかを反省するのは先に進む一歩になるが。さて自己嫌悪のループに陥らない為にはどうすればいいんだろう。ルールなんて短期間で何度も変更するようではそれが有効かどうかも分からないままだ。検証の方法すら分からないまま思いつきで購入し、失敗して「あの時こうしていれば」と悔やむ。結果はとても分かりやすい。自分が入るつもりだったタイミングの値段はメモしてある。それからどれくらい上昇したかが提示され、焦りと絶望がせり上がってくる。失敗したトレードが頭の中をぐるぐると回る。

 トレードで利益を出せている人間のメンタルはどんなものなのだろう?

 私にはちょっと想像が出来ない。

 反省の仕方も知らない。同じような状況がやって来た時、正しい行動をとれるだろうか。差異があっても対応出来るだろうか。疑問ばかりで僅かな光明も見えない。

 思えばこの時点で既に負けているのだろう。完全に、完膚なきまでに。問題に対するアプローチの方法すら分かっていない人間が、たられば言っていても状況が改善されるはずが無い。たまたま上手くいったとして、それを再現することが出来ない。考察に考察を重ね、抽象化し、応用し、柔軟に市場に向き合って始めて舞台の端っこに立てるのだろう。