餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

今年のトレード

 振り返るの少し早いけど、投資だけ振り返ってみる。

 12月は15000円くらいの損失だしたときからノータッチで見るだけ。

 前も書いたが私は損切りだけは当初からしっかり逆指値入れる癖が付いている。外している時もあるけれど、そんな時は常に画面に張り付いている。最初に指値を刈る動きがあると学習してからは寄り付きだけ外していたりする。

 株を始める前から塩漬けだけは出来ないと思っていた。資金に余裕もなく、多くもなからね。エントリー時点で損切り設定する私でも、それをずらしてしまって損失を膨らませた事が何度かあった。そんなことになる原因は、前回の取引で自分が損切りした位置から大きく上昇したなんて経験をしているから。で、握力強めに握って損を拡大させた。

 六月から本気でトレードに向き合おうと意気込んだのは、ある人の動画を見たからだ。私は集団のなかでなかなかどうして上手く立ち回れない。だから一人で、しかも家で出来る株式投資を始めた。でも実際本気で向き合ってきたかというとそうじゃない。資金は2年前から10万以上も減ってしまった。資金が増えた期間は本当に短いものだった。

 それで、いったい小さくない資金を使って何を学べたのだろう?

 時給で働いてきた私には10万なんて大金である。

 さぁ、それで何を市場から得られたのだろうか?

 振り返ってみても、金額に見合う経験を得られたとは思えないのだ。

 それは真剣に向き合っていなかったからだ。無目的に市場を眺めていただけだからだ。自分の強みを見つける努力を怠ったからだ。何が分かっていないのか、分からないままにしてきた結果だ。運だけで話が付くなら、市場で勝ち続けている人間なんていない。専業なんて存在しないはずだ。誰も投資しようなんて思わない。少なくともギャンブルが好きな人間じゃない限り。

 10月に入りボラが大きい市場が続いた。24000を踏んだ時、私はその前から下げ相場になると思っていたから、酷く驚いた。買いしかしない身なら、日経が上昇する波に乗れば良かった。だが、その波は瞬間的なもので、そこが天井になった。24000の天辺でかった個別株は、直ぐに損切りになった。

 努力をしたからといって全てが報われる世界ではない。勝った人間は負けた人間から奪っているのだ。負けている人間がいるから、勝っている人間がいる。そして圧倒的に負けている人間の方が多いのだ。

 悪いとか良いとか、そういう問題ではない。戦場に立った時点で、善悪なんて些細な問題になる。生き残れるのか、そしてお金を増やせるのか。これだけが問題だ。

 この1年で、私は元本を減らしてきた。つまり選択肢が段々と削られているということだ。で、不利になったのかというと、まぁそうでもあるし、そうでもない。ここで踏ん張れないのなら、力不足だというだけのこと。色々と戦い方はあるものだ。

 さて、来年は予想通り下落相場になりそうな雰囲気ではあるけれど、まだまだ生き残っていこうと思うw