餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

転機

 人生に転機なんてあると思う?

 本当の所、そんなものって無いんだよね。自分が意味を見いださないと。

 我が家は元号が変わった当日に家族全員が風邪を引いた。五月一日に同時に。それで私は友人と今日外出する予定だったんだけど、急遽延期してもらうことに。最悪だとも思えるけど、どうなんだろう。

 

 五月一日の夜。突然人生に起こりうるだろう最悪のシナリオが降ってきた。

 その時、体を横にしていても全身から血が引いたように冷えきって、あぁ今日は眠れないだろうなと、はっきり分かった。予想の通り朝方まで寒気が治まらないまま。早朝に少しだけ眠れた。そして午後から熱が上がりだし、夕方には友人に謝罪と断りのメールをおくることになる。 

 体の不調。これからの生活。今までの人生。周囲の人間と。それとこれから起こりうるだろう物事。

 涙が出なかったのが奇跡だったのか。泣くと言う行為すら出来ないほど辛かったのか。

 数字を頭のなかで数えても、深い呼吸を意識しても、湧いてくる不安はちっとも枯れず。その瞬間はまだ、何一つ奪われても失われてもいないのに、今にも全てを奪われるかのような恐ろしい妄想の迷路をさ迷うことになった。長い一晩になってしまったけれど、私はいつも通りの時間に目が覚めた。短いとはいえ、睡眠という意識の一時的断絶のお蔭で、多少ましになる。夜型でもない限り早く寝た方がいいというのは、まさにこんな事を回避する為で、先人たちも忠告してくれていることだ。(例えば夜に書いた手紙は、朝もう一度読み直せとか)

 はて、これを転機と捉えるべきか。

 捉えるべきだろうと私は思う。

 少なくともその長い晩の間、私は自分の人生に起こりうるだろう最悪の想像をした。そしてそれは、それ程突飛な内容でもなかった。現状を継続した先のそこそこ高い確率で起こりうるだろう未来。自然災害や交通事故などは除いた、ありそうな妄想。

 現状を受け止めなくてはいけない。問題点は十分見えた。後は一つずつ改善していくしかない。

 

 今のところ人間は死ぬ。不死はまだ現実のものになっていない。死んでいなければ、生きていなければならないということだ。

 これを転機に出来なければ、妄想が現実になるだけのこと。

 人生に転機があるのかどうか?

 妄想は妄想でしかなく、現状がそうなった訳でもない。

 生きている物は今にしか存在せず、行動出来るのはこの瞬間だけ。生きることは残酷だ。人生は不平等である。通り過ぎた道を戻ることは許されておらず、絶えず前進するしかない。兎にも角にもゴールする瞬間まで足掻くまでのこと。どうせ苦しむのなら、改善する方向で苦しんだ方がどう考えてもましなのだ。