餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

物事は単純に

 いろいろと山積みになっている物はあるけれど、やはり足元から一つずつ片付けていくしかない。

 私は性格的に物事をより複雑にしてしまう人間だから、余計に慎重になる。心配事が沢山あるともともと低いパフォーマンスがもっと低くなってしまうからねw 実際解決出来ようが出来まいが進んでしまうものは進んでしまう。だからこそ前倒しで手をつけていった方が後々余裕ができるんだけど。

 心配症が悪いってわけではなく、それにはそれの良い部分は勿論あるわけで。だからといって机一杯に心配事を広げても途方にくれてしまうだけだろう。人間は右と左、上と下を同時になんて見れないんだからw

 だからこそ、賢い人は単純化が得意なんじゃないだろうか。

 分かり辛いものを分かりやすく。乱雑に見えるものを整頓する。

 人の脳の中で広げられる問題なんてそんなに多くは無いはずだ。リソースは限られていて、挙句見えていないだけで時間制限まである。しかもしかも、問題は一個ずつなんてやって来てはくれないものだ。

 大抵の人間はいざ問題がその姿を露わにした時、とても平静ではいられない。普段からは考えられないようなミスをしたり、手間を増やしてしまったりする。後で振り返ってみれば馬鹿なことをしたものだと、何度も頭を抱えてみたりするw

 あぁ振り返ってみればあれもこれも恥ずかしい。また失敗をしてしまったと目線が下を向く。

 あるいは過ぎた後であっても、思い起こせば顔を青くするような体験をしてしまうかもしれない。

 転んだり泣いたり。大人になってもあちこち怪我をする。生きていれば思う通りにならないことがほとんどだ。

 あんまりにも綺麗な夕日なんて見てしまうと帰りたくてたまらなくなる。それは家ではないどこかなんだが、そこが何処だか分からない。あるいは天国。あるいは過去か。それとも己の空想の中なのか。去っていった人達の輪の中かもしれないし、ただの虚無なのかもしれない。つまりはそこに至るまでは分からないw

 

 さて、冒頭に戻る訳だが。問題は一つずつ片付けていくしかなく。やはり単純化から始めなければと思う。

 死こそがゴールであるとするならば、まずは生きるという過程を経なければならない。そしてそのゴールへは、その場でいくら踏ん張ってみた所でベルトコンベアの上の荷のように運ばれていく。

 祖母の手紙にあったのだが、前を向いていきなさいと今は亡き母に綴っていた。目が不自由にもかかわらず、さぞ大変だったことだろうと思われる。現に文字は綺麗とはいえなかったが、何ともシンプルな答えである。