餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

趣味(生きがい)

 両親の望みによって生まれた訳だが、その内一人は早々に私の人生から離脱し、残りの一人もその後を追おうとしている。振り返ってみれば私は幼いころから漠然と死にたいという想いを抱えた子供だった。それは今でもずっと背中に張り付いている。

 自分の周りを見渡しても、生に満ち溢れたというようなものからは程遠かった。むしろ圧倒的に迎えるより見送ることが多い道を歩いてきた。結婚式など今でも行った事が無い。親せきとの縁も殆ど途絶えかけている。

 私がそんな考えを抱くような存在だったからそのようになったのか、もしくは単純に遺伝子が現代に向いていなかったのか。ま、人と呼ばれる種のランダム性を担保するために偶然続いただけなのだろう。その役割ももう終わりそうだ。しかし、馬鹿ながら血筋の大切さも知っているつもりで。だから本家の方では血が続いていると聞いてほっとした。会ったことすら無いだろうになw

 私に至るまでに多くの人間が生きていたのを知っている。知っていて私は、それを特別だとも凄いことだとも思えないのだ。

 むしろ思う所があるのは、繋がってきたこの血脈だ。偶然に次ぐ偶然。奇跡に次ぐ奇跡。恐ろしいほどの天文学的確立でことここまでに至ったこの血。この遺伝子。私のようなズレた思考をする存在を産みだした流れ。

 私は自分の存在が悪いなどとは露ほども思っていない。思う訳が無い。何せ存在の可否など誰にも語れないものだからだ。そこに在るものに、そこに発生したものに善し悪しなどない。人の枠組みにはめ込んで始めて発生する評価。しかし、在るということはそんな次元では語れない。

 だが、そう。思う所があるのだ。ようもやってくれたなと。恨んでしまうことがある。憎んでしまうことがある。そんな感情を抱く己が一番汚く憎らしい。そうして押し付けられた命を持て余している。与えられた命が少々歪んでいた所でそれがどうしたと笑い飛ばす力が、私には未だに備わっていない。走っても走っても周りに追いつけず、足を止める事を許されないが故に引きずられるようにして生きている。

 そんな人生を私に与えた当人たちが居なくなるようだ。では、どうして生きればいいのだろう。二人の寂しさを紛らわすために存在した命だ。今更どうすればいいのだろうか。放り出されたその先で、何を理由にして生きればいいのだろうか。

 主体的に生きる事をしてこなかったつけが回ってきた。そう。全ては私のやらかしたことであるし、そこに己以外の要素は介在しない。何かのせいにするのは出来るだろうが、そうした所で犯人など何処にもいやしないのだ。

 仕事して家に帰って、寝て。一向に裕福になれず疲労が蓄積されていく。それを脱出する為に色々なものを我慢して必死に勉強して、虚しくなる。何のために産まれてきたのだろう。どうして生きているのだろう。走って走って、全然追いつけず、しかし背中を押されて。足が絡まっても、倒れても。時間が押し寄せて私を進ませる。痛みばかりが、恨みばかりが沈澱していって、それがなお私を責め続ける。

 生きるとはどういうことなのだろう。

 ただ臓器が機能してさえいれば、それが生きていることになるのだろうか。

 長々と書いてきたが。新しい生きる理由が必要になった。今のところ妹が居るから生きているようなものだから。今度は自分の内側から生じる理由が必要だ。それは何だろう。ただ生きるためだけに生きれるほど私は強くないようだ。では私の人生を潤わすために必要なものは何なのだろうか。楽しいと、もっとやりたいと思うことは何だろうか。残念ながら使える資金など雀の涙程度だが、それでもきっと出来る事はあるはずだ。こんな私でも係わりたいと思ってくれる奇特な人間にも出会えるかもしれない。

 色々な事が立て続けに起きて鉢植ももうボロボロになってしまった。絵だって時間が勿体無いと思って描いてない。ゲームをするたびに罪悪感を持つのは疲れてしまった。父の容体もあってまだまだゆっくり時間は取れないだろうし、お金を増やす努力は継続しなくてはいけないけれど。

 楽しい事をやりたい。我慢するばかりは嫌だ。生きるためだけに、仕事をするためだけに命を使いたくない。自分の価値観を改めて育てていこうと思う。せめて一度くらいは産まれてきたことを喜ぶために。