餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

久しぶりの更新

 ちょっと時間が空いてしまった。なるべく毎日書くと決めているんだけど。

 

 こんな状況でも自分のことを考えている。

 これからどうやって生きていけばいいのか。まだ答えは出ていなくて、そのことについて考えようとすると気分が悪くなる。自分で決めていくこと。決断すること。そしてその結果に強がりでも納得すること。望まない方向に進んでしまっても、改めていく決意。

 

 何もかもが難しく感じて気後れする。やる前から疲れてしまっている。

 仕事は本当に選べないのか。

 もっと自分に合った生き方があるんじゃないか。

 家族のためだけに生きられるのか。苦しいことも我慢できるのか。

 お金を得るためにはどこまで辛抱できるんだろう?

 

 世の中にはいろいろな考え方があって、それはどれも正解であって正解ではない。だからこそ自分が決めなくては後悔が残るのだろう。真っ直ぐな一本の道が用意されていたら楽なのかもしれない。しかしそうだと自由なんて言葉は生まれなかったはずだ。日々を幸せだと感じるのも、日々を不幸だと感じるのもそれすら自由の一部。

 手の届く範囲で、変えられる範囲で望ましい未来のために今に集中して生きること。それができれば、それさえできれば。自分の望んだゴールとは違う場所に辿り着いたとしても、それほど大きな後悔にはならないだろうと思うのだ。

 何もしないで流されて生きるのも、一つ一つの決断に向き合うのも間違っていない。

 ただ、それを選んだという自覚が無ければきっと何かしらのしこりが残る。

 「なんでそうしなかったんだ」

 「なんでそうしてしまったんだ」

 そう思うのはしっかり自分で選ばなかったから。全て望んだとおりに進む。そんなことはあり得ない。断言できる。

 邪魔が入ったり、応援してもらったり。沢山の人間との関わりの中で自分の価値と交換しながら共存する。それが人間という生物で、繋がりの中から価値が生まれる。

 当たり前の事をいっているのだろうか。それとも全く見当違いの事をいっているのだろうか。まともに生きてきた経験がないから分からないが、最近はそう思うようになった。

 

 また間違うのだろうかとか、不安が無限に湧いてきている。でもまぁ今度からは選ぶということと向き合っていこうと思う。今までやってこなかった。今更そんなことから始めなくてはならないのかと呆れる気持ちもあるけれど。それが自分と向き合う方法であるのなら、いずれ自然に歩を進められるように成長できるよう願って。

 ただ生きるためだけに生きるのではなく。辿り着きたいと思う先を夢見ながら楽しく歩いていきたいものだ。