餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

合う合わない

 負のループに入るときの入り口は些細な苦手意識からだったりする。

 人の視線が怖いとか、相手の顔色を窺いすぎるとか。

 回避行動。逃避行動は最初は小さなことから始まり、それがだんだんと重症化していく。時に逃げるのも大切なことだけれど、それはあくまで選択肢として頻繁に選んでいいものじゃない。

 

 メンタルの勉強をしていたら分かったことがある。

 それは自分に合った本や人を見つけることの重要さだ。

 今も心理学の知識は更新されているとはいえ、おおよそこうすることが望ましいというものは確立されている。だから似たり寄ったりの本がたくさん世の中にあって、すでに知っていることがほとんどだ。しかし書かれたり発せられたりする内容が、どの人を通されたかによって感じ方が大きく違ってくる。

 優しく諭す人。叱咤激励する人。淡々した人。それから自分の経験だったり宗教だったりに絡めてくる人。

 出口は大体同じだけれど、入り口が無数にあるといってもいい。

 

例えば → 習慣というものはとても重要なものだ。習慣が人生を作る。

  だからだらだら毎日を生きてるんじゃない。今行動しないでどうする。

  だから小さなステップからやってみよう。やってみることが大切なんだ。

 

 二通りとも同じことをいっている。

 つまり、立ち向かう姿勢をとることがその状況を脱する手段だ。だから行動しよう。それまでの人生と同じことをしていても、人生も環境も変わらない。望む未来があるのなら今の行動をそこに向かって変えていこう。ということだ。

 

 どちらがより受け入れやすかっただろうか?

 心身が疲弊している人や、若さや力にあふれている人。これまでが駄目だと思っている人、これよりももっと成長したいと思っている人。意気消沈した人や、ある程度安定した心を持った人など、それぞれ状況が全く違う。そのなかで自分がどんな人間なのかをおおよそ知っていたり、同じような内容でも自分に合う合わないがあることを知っておけば、挫折する確率を下げることができる。

 

 何かの本や人に触れたとき、自己嫌悪ばかりを抱かせるようなものは避けたほうがいい。それは相手の問題ではなく、自分の問題だ。今、速やかに行動に移し、望ましくない状況を止めたり改善するには立ち向かう勇気が必要だ。だから内容がいくらごもっともであったとしても、その勇気を挫いたり傷つけてしまうような意見は、自分がそれを受け入れられるようになるまで避けておいたほうが無難だ。

 自己観察を日々やっていれば、参考にするものが自分にどう作用しているのかが見えてくる。愛読している本であっても、些かも実行に移せる気配がなかったり、読んで満足してしまうことを繰り返すならば、もっと違うものを探してみたほうがいいかもしれない。