餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

会話

 お喋りで悲観的で、まぁ人としてちょっとどうかという性質を持つと、会話で相手を苦しめることも朝飯前だ。自分の苦しみを永遠と吐き出すような口が、大切な人を幸せな気持ちにさせることができるだろうか。

 最近、兄弟に気が滅入ると言わせてしまった。

 そうだろうと思う。

 それでも一緒にいてくれるのだから、申し訳なくてたまらない。

 

 会話の大半は堂々巡りなものだけれど、それにしたって限度がある。

 思考している元が同じなんだから、それも仕方がないと言ってしまえばそれまでだが。現在の自身を形成する過去の経験が、それはもう根深くて根深くて。以前は、大人になって思慮分別が付けば、性格も変わっていくものだと思っていた。そうじゃないと分かってから、どうにかしようとして来たつもりだが。

 思いついたことを、言いたいことを吐き出すだけなら、それはもう会話ではないのかもしれない。誰でも彼でもに理解してくれるように呼び掛けても、それは徒労に終わるだろう。真逆の結果すらありえる。

 今自分が話そうとしていることは、伝えるべきことなのだろうか。言葉にする前に一度頭で考えること。これが凄く難しい。余計なことを言わない。何でもかんでもを発信しない。

 会話の後に、何を目的に自分は話していたのだろうかと振り返ると、本当に大したことなんて言っていない。独りよがりで、偏見に満ちていて、不確かな情報で思いつくままに言葉を吐き出しているだけだ。

 

 自分の何気ない行動を意識化すること。そして理想は、好ましくない部分を修正すること。

 我慢強く、自分がどんなことに感情を揺さぶられ、何を好きで何が嫌いか。どんな状況だと変な行動をとってしまうのか。丁寧に一つ一つ拾い集めて、客観的に観察して、感情をできるだけ取り去ったうえで、少しずつ行動を好ましいものにすり替えていくこと。合理的に考えること。

 自分の益になるものを積み重ねていけば、いずれは必ず今よりもっと生きやすくなっていく。現状を受け入れて、きちんと自分と向き合いさえすれば。一番難しいが、おそらく一番の近道。