餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

傾倒すること

 人間は縋る生き物だ。心の支えを欲する生き物だ。

 依存ビジネスが儲かるのは、だから必然的な事なのだともう。健康でも信仰でも習慣でも、本だったりゲームだったりでも。影響の大きいものだとお金だとか。国も人種も。

 依存するものが自分にとって重くなるほど、それが無くなったとき大きな負荷がかかる。替えの効くものならそれ程ダメージもないのだけれど。それを分かって最初から代替を用意していればいいんだけれど。替えがなくとも覚悟があれば多少はましだろうけれど。

 でも人はそれがあって当然だとか、それだけが本当だとか思考停止が楽だから、強く意識しないとそんなことは考えないように出来ている。そんなことばかりを考えていたら生活なんて出来ないから、基本的にはある程度フィルターがかかるのだ。普段から車に轢かれる可能性ばかりを見つめていたら、外に出るのはたいそう苦痛だろう。貯金が空になることを毎晩想像していたらストレスは膨大だ。何度も大切な家族が死んでしまうことばかりが頭にちらつくなら、心身ともに疲弊していくに違いない。

 しかし残念ながら失うこともまた人生の一部。

 傾倒し、さんざん時間とお金を費やしたとしても、失うときには失うものなのだ。だから色んなものに分散しておくといい。一つの考えに、一人の人間に、あるいは一つの価値観にのめりこみ過ぎないように。

 そんな保険をかけるような考え方が嫌ならばそのまま走り抜けていい。大きく成功したいなら大きく賭けるのも一つの手段だから。ただ私は、失うことを恐れる人ほど一つの事に傾倒しがちだと感じるのだ。全部賭けて、全部費やしてどんな結果になってもからりと笑えるなら素晴らしい。自分の中から生まれる答えのままに全力でやっている人はかっこいい。

 でも、不安傾向の強い人ほどそうではないのだ。ずっと未練がましく縋りついて、なかなか手放せない。依存対象を否定されるとヒステリックになる。取り上げられると何もかも奪われたように感じる。無気力になったり、暴力的になったり、自暴自棄な行動が問題解決になんの役にも立たず、むしろ状況を悪化させてしまうだろうに。

 走っていいて楽しいならそれでいい、そのまま全力でどこまでも追いかければいいのだ。走っていて苦しかったり不安だったり辛いばかりなら見直すべきだ。失うことが怖いなら、もう一つ大切なものを見つければいい。無駄な事をしていると考えるのなら、止めてしまったほうがましだ。無駄でもいいならそれが正解。正解は自分の中にしかない。