無駄ということ
私は無駄というワードをよく使ってしまう。
これは無意識レベルで沁みついてしまっているようで、ふとした時に口にしてしまうのだ。これは本当に自分にも周囲にもよろしくない大きな影響を与えてしまう。
人間、無駄だと思っている行動をしていると能力にマイナス補正がかかる。
無駄だと思っている時点で既に疲労している。
それを聞いた人間にも同じ影響を振りまく。
メンタルに非常によろしくない。
無駄の境界線を自覚的に引いて、それを絶対にしない人間が、時と場所を弁え影響力を十分に理解して使うならまだいいのかもしれない。しかしそれをできていない状態でそのワードを使うことは、得られる利点は全くないと言っていいのではないだろうか。むしろ悪影響が大きすぎるとも言える。そもそも無駄の定義は千差万別。他者の行動に無駄という言葉は禁句だ。
私はこの癖を治したい。だが思ってしまうことをやめられないでいる。なんでこんな事になってしまったんだろうかという思いから、二重に苦しい。苦しんでもただ疲労だけが溜まるだけなのに。
これについては解決策を思いつかない。
思うことや感じることを止められないからだ。
もっと行動する前に今自分が行うことについての意義を考えるべきなのかもしれない。目的を再確認する時間が必要なのかもしれない。無駄だと思った事に対する反論を並べるできなのかもしれない。本当に無駄だったのかという確認作業を設けるべきなのかもしれない。
人間はなかなか自分のために十分な時間をとることをしない。
反省に感情を交えるからだ。
人間はなかなか決断をすることができない。
行動に確実な結果が伴うことが全く保証されていないからだ。
人間はなかなか自分に向き合うことをしない。
どんな結果であれ受け取らなくてはならなくなるからだ。
人間は凡そ正しいといわれる行動をとらない。
そのことがとてつもない時間と労力を要求されると、無意識の内に知っているからだ。