餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

自律について

 タイトルから脱線するが、ちょっと雑談。

 また果樹を一本購入してしまった。カーメン君のガーデンチャンネルで知ったジューンベリーバレリーナという品種をゲット。最近植物を買いすぎなので反省、しばらく新しいものを増やすことを禁止する。

 ちなみに購入当日に植え替えまで終わらせた。お店で売っているものは粘土質が多いのだろうか。かなり大変だった。グァバもこんな感じなのだろうか。ちょっと枯れてしまうかもしれないが根っこをかなりカット。落葉樹だし休眠期の今だったら大丈夫だといいなと思う。枯れたら枯れたとき。それと枝垂れ梅とグァバの太い部分を選定して少し低くした。枝垂れは樹形が気になるので曲げに挑戦したい。選定をもっと勉強しないと。購入当初は樹形が悪くほとんど枝垂れていなかったのでかなり安く購入できたのだが、家に来てから4、5年たつと本当に枝が綺麗に垂れるようになった。なので当初お店に売っているものは無理やり曲げたものだと思っていた。中にはそういうものもあるかもしれないが、恥ずかしい限りである。

 

 本題に戻るが自分を律することについて。

 年末の休暇に入り、自由な時間が一気に増えたさきでぶち当たる問題がこれ。自由は不自由。不自由は自由とは的を射た言葉だ。私たちは選択で疲労し、空間に影響される。かなりしっかりと一日を見据えなければ折角の長期休みも気が付けば何もせず終わってしまったということになる。もとより勉強する部屋、休む部屋と空間を分けていたらこんな問題が生じるのを防ぐことも出来ようが、そんなに広い家に住んでいる人もそうそういないだろう。そして時間があるという感覚。こいつが曲者。仕事をしている時は自由に出来る時間が限られていてしかもその範囲は狭い。だからこそだろう。気を張っているためか多少なりとも行動に移すことができる。だが休みに入るとどうだろうか。朝目覚ましで起きることを止め、なんとなく動画やテレビを見て手慰みにゲームをしたりちょっと本を読んだりしてその日が終わる。

 自分を戒めるためにいうが、変化とは一日にして成らないものなのだ。

 なんとなく生きて望んだ結果に辿り着ける人間はそうはいない。

 人間は置かれた環境が相当影響している。自分の実力とか努力というものなど吹き飛ばすくらいに。生まれた国、両親、遺伝。土地。出会った人間。資産。アクセスできる情報の質。その他もろもろ。運の要素は思ったより大きい。

 だが、だからといって何もできないわけじゃない。進みたいと思う方向に行こうとすることはできる。端から自分を律することなどできないと投げ出さず、どうにかしようとすることができる。上手くいかず骨が折れることのほうが多いが、成りたい自分像があるなら立ち向かったほうがいい。変えられないと思うより、変わっていけると思うほうが建設的だ。難しく考えないでどっちの方がまだましかだけ見ればいい。出来るか出来ないかは置いておいて、どう考えたら楽になれるかが大事だ。行動に繋がりやすい思考が何なのか。もう一度やってみようと思える方向にもっていくには。自暴自棄になるくらいなら感情は置いておいたほうがいい。感情が人生に与えてくれるものは思ったよりも多くない。刺激は魅力的だからこそ、思考停止にしてしまう。いつまでも同じ環境や状況から抜け出せないのは、脳にそういう性質があることを知らないからだ。それと意思の力はそれ程万能ではないことも忘れない。燃料切れをよく起こすことを知っているだけでも知らないよりはましなのだ。