餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

試みること

 自分の中には不安や不満が渦巻いていて、それを誰かと比較できるものではないんだが、私はかなり重いほうだと見ている。吹っ切れるということができない。ゲームで一日を潰したとしてそれを後悔しないならばそれでいいのだ。なのに私はいつも心のどこかで納得がいかなくて苦しんでいる。

 現状に不満を持つから成長していけるのだと思っていたが、それはどうなのかと最近考えるようになった。感情が先に走っている時点で、人は同じことを繰り返し続けてしまうのではないか。感情的に悩み後悔することで、行動を先延ばしにしたり避けていたりするのではないか。

 自己を見つめることで自分と距離をとれる。

 感情的になっていて観察はできない。一歩引いた距離から記録を残していく。すると感情ありきでそんなことができないことに気が付く。

 感情は波のようなもので、ノイズのようなもので、刺激そのものだ。自身を責めることや他者を攻撃することは問題解決からは程遠い行動。ただ見るべきものから視線をそらしているだけにすぎず、だからこそ根本的な改善に繋がっていかない。

 それでいいと思えることがないのは苦しいことだ。正解を求めていると不満も不安もこんこんと湧いてくる。どうして自分を許してあげられないのだろうか。ぴんぴんに張った糸をどうにかしようとしても傷んでしまうだけだ。最悪切れる。

 自分を変えようとすることはいいことだと思う。でももっと力を抜いてできないのだろうか。試みることをもっと気楽に始めるにはどうすればいいのか。ほったらかしたって少しは変わっていっているものなのだから、頑固な部分も当然あるし、それを憎々しく思わなくたっていいのに。ちょっと力を抜いてやってみることができればと思う。