餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

思い悩むということ

 思い悩むということは結論の先延ばしだ。

 悩んでいる間は実行しなくていい。どっちつかずにしておけば少なくとも今、何か行動を起こす必要がないからだ。答えを保留して、問題に向き合っているようでいてそうでない状態にする。人間は良くも悪くもずる賢い。だから言い訳だって出来る。自分を騙すことだってそうだ。

 

 決めるということは行動に直結する。

 選ぶということは重い。

 

 

自分の性格からくるミス

 人にはそれぞれ犯しやすいミスというものがあると思う。

 私の場合は見落としとか思い違い。

 根本原因は確認が足りないということ。せっかちだということ。

 断片の情報を拾って分かった気になって結論を急ぐ。知った気になって情報源を調べない。

 

 それを知っているのなら、同じミスを重ねない方法を考えればいい。

 それをせずに自分を感情的に責めることに、果たして意味があるだろうか?

 マイナスの効果ならありそうだ。

 自分の欠点に向き合うのは時間がかかるし根気がいる。ミスを減らせば自分にとって確実に得になるのに、人がなかなかそれが出来ない。直近の楽さに目がくらんでしまうんだろう。

 

 

鉢の手入れ

 父がいなくなってからほとんど手をいれないままで、水だけを鉢にかける程度だった。それで久しぶりに近寄ってみると枝垂れ梅の方は葉先が茶色くなっていたし、紅梅の方は新芽にびっしりと虫が引っ付いていた。バラは虫はついていなかったけど雑草が茂ってしまった。ハイビスカスは数日前にしぶしぶ植え替えた。その時も薄々様子がおかしいと思いながらもよく観察することもなく終わった。

 花も野菜も綺麗だったり美味しかったりするのだけれど、実際育てると肥料の臭いだったり虫だったり病気だったりといずれ手を入れなければ死んでしまう。デンマークカクタスも辛うじて枯れていないけれど、もうほぼほぼ死にかけている。簡易的でもいいから冬場しっかり日が当たって気温が零度を下回らないような場所を作らないと、花は落ちるし枯れてしまうことを知った。

 

 隙間なくびっしりとついている虫を見て、正直もう枯らしてしまおうかと思った。

 触るのも気持ちが悪いし、持っていた虫用のスプレーをかけて一日待ってみても様子は変わらなかったし。

 勝手なものだなと思う。何かを維持したりするのは骨が折れる。動物でも植物でも。

 それでいいのかと考えて、朝から見える範囲を全てテープで取り払った。手は虫の汁で赤くなるし、虫は虫で命だし。それを沢山潰すのは子供の頃ほど容易に出来るものじゃなかった。どんな命も命は命。それを嫌悪しても仕方ない。生きていれば必然何かを殺している。

 なんでも同じだけれど、居場所を得るのは大変なのだ。人も植物も動物も。

 梅は来年花を咲かせてくれるだろうか。シャコバサボテンは息を吹き返すだろうか。

バランス

 緊急事態宣言が延長されるとのことで。でも流石に経済への影響が大きいからか、途中で切り上げるかの検討もするとのこと。

 

 自粛から一か月は経っただろうか。

 収束のめども立たないまま、しかし生きている故に発生する金銭の問題や教育の問題などが山積している。

 もともと持病を持っている方や、ライフライン維持のために出勤されている人々の恐怖は大きいはずだ。

 経済と感性拡大の抑止。アクセルとブレーキのようだと思った。

 経済が悪くなればその影響での死者も出る。かといって感染が急激に拡大すればそちらも死者が出る。両立しようにも、こんな状況は想定していなかった、だから短期間で対応できる訳もなく。リモートワーク導入がすぐさま出来る企業のほうが少ないだろう。感染者とそれ以外の患者を分けて診療に当たるのも困難だ。三密と言われても大都市圏の移動手段は交通機関に依存する。必然、電車やバスの中ではどうしても距離を開けられない。

 

 昨日散歩をしていたら、マスクを付けた男性がマスクをしていない人に声をかけていた。ちょっと異常だと思った。十分量のマスクが供給されていない現状、持っていない方もいるだろうし。手作りマスクを作れといっても皆が皆裁縫が出来るわけでもないだろう。すれ違う際の距離を気にすればいいだけの話で、そもそもマスクは飛ばさないためのものであって、付けているからといってウィルスを通さないわけじゃない。もっと言うと、公園などに来るより時間帯を選んで家の近所を散歩したほうが、より人と接触をする機会を減らせると思うのだが。

 強すぎる自粛ムードはきっと多大なストレスを蔓延させる。

 気にしすぎもいけないし、かといって全くの無頓着ではいけない。

 アクセルとブレーキ。感染する確率はゼロにはならない。そのうえで経済を回していかねば飯が食えなくなる。バランスをとる必要がある。しかも群体が。

 どんなに親しい間柄でも不和が生まれる。それでもある程度バランスをとって協同生活を営んでいる。規模が大きくなればそれは難しくなる。難しくなろうとも助け合い協力し合って困難を乗り切るしかない。争って統制が取れなくなり、混乱が起きるよりずっといい。

 

本棚の整理

 ずっと同じ本が並んでいて、かつそれを全く触っていなかった。

 前回整理した時も、自分の興味があるもの、大切だと思った本を厳選して並べたつもりだったのに。使わない本に何の意味があるんだろう。持ってるだけで満足しているから、埃ばかりが積もっていく。こうなりたい、これが出来るようになりたい。本棚には持ち主の人間性が出る。私はきっと虚栄心が強い。

 これからはもっと本棚を活用しようと思う。

 画法の本を取り出してもう一度並べた。嫌いだけど必要だと思う数学の本を少し。前々から手放せずにいる英語の本も。株式投資について何冊か。

 全部触ろうなんて思わないから、その内のいくつかだけでも。自分が選んだものだからちゃんと手にとって勉強したい。

無駄ということ

 私は無駄というワードをよく使ってしまう。

 これは無意識レベルで沁みついてしまっているようで、ふとした時に口にしてしまうのだ。これは本当に自分にも周囲にもよろしくない大きな影響を与えてしまう。

 

 人間、無駄だと思っている行動をしていると能力にマイナス補正がかかる。

 無駄だと思っている時点で既に疲労している。

 それを聞いた人間にも同じ影響を振りまく。

 メンタルに非常によろしくない。

 

 無駄の境界線を自覚的に引いて、それを絶対にしない人間が、時と場所を弁え影響力を十分に理解して使うならまだいいのかもしれない。しかしそれをできていない状態でそのワードを使うことは、得られる利点は全くないと言っていいのではないだろうか。むしろ悪影響が大きすぎるとも言える。そもそも無駄の定義は千差万別。他者の行動に無駄という言葉は禁句だ。

 私はこの癖を治したい。だが思ってしまうことをやめられないでいる。なんでこんな事になってしまったんだろうかという思いから、二重に苦しい。苦しんでもただ疲労だけが溜まるだけなのに。

 これについては解決策を思いつかない。

 思うことや感じることを止められないからだ。

 もっと行動する前に今自分が行うことについての意義を考えるべきなのかもしれない。目的を再確認する時間が必要なのかもしれない。無駄だと思った事に対する反論を並べるできなのかもしれない。本当に無駄だったのかという確認作業を設けるべきなのかもしれない。

 

 人間はなかなか自分のために十分な時間をとることをしない。

 反省に感情を交えるからだ。

 人間はなかなか決断をすることができない。

 行動に確実な結果が伴うことが全く保証されていないからだ。

 人間はなかなか自分に向き合うことをしない。

 どんな結果であれ受け取らなくてはならなくなるからだ。

 人間は凡そ正しいといわれる行動をとらない。

 そのことがとてつもない時間と労力を要求されると、無意識の内に知っているからだ。

 

 

 

 

損切

 前回買った株は昨日損切りしておいた。理由は思った動きをしなかったから。もうちょっと強く反発して改めて下げるのかと思って、その上昇に乗れればと考えていたんだけど、失速してよこよこ。このパターンで勝てたことないんで逃げました。

 今日はがっつり上昇すると思ったんだけど、そうでもないね。売りも買いも難しいんだろうね。信用取引ができないから売りはできないんだけど、売りで入れたとしてこの地合いじゃ酷い目に合いそうだ。原油が少し戻した理由の上げなんだろうけど、緊急事態宣言が全国になったんでどのみち下げるだろうと思われ。

 たくさんの職を失った人や、倒産してしまった人たちの救済はどうなるんだろう。

 成長率-3%って言われてもパッとイメージできない。マイナスに振れるって相当なんだろうくらいの感想しか、、、。でも下手に焦って感染者爆発させるようなことしたら、それ以上に悪化するのは間違いないんだろうな。そんな中でなんで株価がまだもっているのか、普通は下落するだろうに高止まり。ちょっと意味が分からない。なんでアメリカあんなに戻してるんだろう。実態経済は間違いなく悪化してるはずなのに。