餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

久々に本追加

 自分の家に投資関連の本と、実際の市場を見比べていた。

 それでほどほどに進んだので、新しく一冊。スイングトレードの本を購入。あれもこれも手を出せるほど資金に余裕が無いので、しっかりじっくり消化しつつ。

 入院していた父もきょう退院で少し安心かな。症状の進行はあっても治癒はないから、なるべくだけど食べたいものとかは用意したいなと思っている。風邪なんかが大敵だから、自分たちも用心しないと。肺炎にでもなれば遺された寿命がどんどん短くなってしまうから。

 色々と無くしてきて、今は人生は引き算なんだと思うことの方が多いが。死ぬ時にはこんなにも得られるものがあったのだと驚きたいものだと思う。

物事は単純に

 いろいろと山積みになっている物はあるけれど、やはり足元から一つずつ片付けていくしかない。

 私は性格的に物事をより複雑にしてしまう人間だから、余計に慎重になる。心配事が沢山あるともともと低いパフォーマンスがもっと低くなってしまうからねw 実際解決出来ようが出来まいが進んでしまうものは進んでしまう。だからこそ前倒しで手をつけていった方が後々余裕ができるんだけど。

 心配症が悪いってわけではなく、それにはそれの良い部分は勿論あるわけで。だからといって机一杯に心配事を広げても途方にくれてしまうだけだろう。人間は右と左、上と下を同時になんて見れないんだからw

 だからこそ、賢い人は単純化が得意なんじゃないだろうか。

 分かり辛いものを分かりやすく。乱雑に見えるものを整頓する。

 人の脳の中で広げられる問題なんてそんなに多くは無いはずだ。リソースは限られていて、挙句見えていないだけで時間制限まである。しかもしかも、問題は一個ずつなんてやって来てはくれないものだ。

 大抵の人間はいざ問題がその姿を露わにした時、とても平静ではいられない。普段からは考えられないようなミスをしたり、手間を増やしてしまったりする。後で振り返ってみれば馬鹿なことをしたものだと、何度も頭を抱えてみたりするw

 あぁ振り返ってみればあれもこれも恥ずかしい。また失敗をしてしまったと目線が下を向く。

 あるいは過ぎた後であっても、思い起こせば顔を青くするような体験をしてしまうかもしれない。

 転んだり泣いたり。大人になってもあちこち怪我をする。生きていれば思う通りにならないことがほとんどだ。

 あんまりにも綺麗な夕日なんて見てしまうと帰りたくてたまらなくなる。それは家ではないどこかなんだが、そこが何処だか分からない。あるいは天国。あるいは過去か。それとも己の空想の中なのか。去っていった人達の輪の中かもしれないし、ただの虚無なのかもしれない。つまりはそこに至るまでは分からないw

 

 さて、冒頭に戻る訳だが。問題は一つずつ片付けていくしかなく。やはり単純化から始めなければと思う。

 死こそがゴールであるとするならば、まずは生きるという過程を経なければならない。そしてそのゴールへは、その場でいくら踏ん張ってみた所でベルトコンベアの上の荷のように運ばれていく。

 祖母の手紙にあったのだが、前を向いていきなさいと今は亡き母に綴っていた。目が不自由にもかかわらず、さぞ大変だったことだろうと思われる。現に文字は綺麗とはいえなかったが、何ともシンプルな答えである。

 

 

読みなおし

 家にあるテクニカル関連の書籍を全て読み直した。もっと深く読み込まなくては。発見も多々あって、自分の行動を振り返って反省している。

 ファンダメンタルは捨てて、今はテクニカルに全振り。何処が意識されているのか、何処を集中的に見る必要があるのか。あらためて学習中。再現性のある場面を見つけられればエントリーしていくつもり。今は地合い的に読み難いと思っているが、方向性を読む良い訓練になるだろうw

 

 あらためて集中力を分散しなくていいように一つずつやっていく。それでテクニカルなんて役に立たないと結論が出るなら、またアプローチの方法を考えなおせばいいだけ。

 生きている間はずっと続けると決めたから、気長にやっていくだけさw

 

立て続け

 今日は父の入院やらなんやらでてんてこ舞いだった。

 朝から碌に水分も取れず。ご飯も食べていないが、それよりも精神的にすっかり疲れてしまった。

 

 人間はいずれ死ぬもの。私は生を受けてから一度も結婚式にはいったことが無いが、葬式には縁があって何人も見送ってきた。母も見送ったが。順当にいけば今度は父親だ。分かっていたんだが、それが急に現実味を帯びてしまって、まいったまいったw

 長い長い間、喫煙していたから悪くなってるのは明らかだった。それに呼吸音とかがもう普通じゃなかったから。今まで見ないふりしてきたけれど、とうとう隠しようもなくなった。

 もしもう少しでも伸ばしていたら、今晩にでも死んでいた可能性もあった訳だ。

 夜呼吸しているのか何度も目が覚めて寝不足だったが、私の行動は自覚的ではなくても嫌な予感がして反応していたんだろう。あの絶望に苛まれた一夜も、虫の知らせだったのかもしれない。

 しかしまぁ、入院したからといって安心はできない。病院は色々な菌がいる。感染症にでもなれば、父の死は早まる。先のことは分からないから、精々会話だけでもなるべくしておこうと思う。退院できる可能性も全くなくなった訳じゃない。通院は死ぬまでしないといけないらしいが……。

 

 前向きに考えるなら、色々と準備をする時間をくれたんだろう。起こったことの解釈は当事者が好きに出来るから、少しでもプラスに捉えた方がいい。これから大変だが、一つ一つ当たっていこうと思う。

 取り敢えずは、今日の夜からは父の咳をする音で目が覚めることは無い。

 悲しいかな、そのことに少しほっとする自分がいる。毎夜死んでいるんじゃないかと思わなくて良いんだと。

 

 兄も喫煙者だから煙草を止めてくれと言ったが、どうするかを決めるのは、やはり本人だけだ。

 私の父は今のところ肺以外に問題はないようで、だから喫煙していなければ寿命はもっと長かった可能性が高い。

 誰かと長く一緒に居たいと願うのなら、煙草は止めた方がいい。吸わなければ長く健康でいられるという訳ではないが、少なくとも小さくない原因の一つを潰すことができる。多少なりとも症状の進行を遅らせることが出来るかもしれない。

 あくまで可能性の話しだ。

 喫煙していても死ぬまで健康な人もいるかもしれないし、煙草を生きがいにしている人もいるだろうから。何がいいかなんて最終的に本人が決めることだ。

 ただし、共に生きる人には大なり小なり迷惑をかけることになる。

 じっくり考える時間を設けてみるといい。何をしたいとか、誰と生きたいとか、どう死にたいとか。考えたからといってそうなるものでもないけれど、致命的になる前ならば理想に近づけるように行動を変えることができるから。

 どうか自分を大切にしてほしい。せめて自分だけでも、抱えざるを得なかった命だとしても大切だと慈しんでほしい。だって本心からそれが出来るのは当人だけなんだから。

危なかった

 危うくシャコバサボテン枯らす所だった……。

 いやぁ、段々と気温も上がってきたのに水やる間隔調整するの忘れてたわ。ハオルチアの方がなんか勢いよく増えてて、そればっかりに目がいってた。

 もう少ししたら植え替えかなぁ。鉢は用意してるし、土もあるから何時でも出来る。もうちょっと気温差が小さくなったらの方がいいかな。悩むところよ。梅の方はぼちぼち肥料もやりはじめた。梅雨に入ってからの方が良かったか、こっちも悩んだな。

 ミニ薔薇の方は植え替えも上手くいってどんどん花付けてる。だからどんどん切ってるw

 ある程度蕾が色付いたらさっさと切ってコップに飾る。かなり蕾間引いてるけど、それでも結構つくもんなんだよな。この時期になるとあちこちの庭でバラを見るけど、ミニ薔薇でさえ棘面倒なのに、そうでないんだから大変なんだろうなと思う所。病気とかカビとか虫とか、なにかと手間がかかる。でも植物を育てるってのはそこらへんも楽しみの一つなんだよなぁ。

 

連休明けるけど

 トランプ大統領の発言で明日からの市場は荒れるだろうね。

 始まってみないとどうなるかなんて分からないけど。でもまぁ、大事にはならないだろうな。以前もこんな風に下げたことがあったけど、続かなかったもんね。以前こうだったから今回もこうだろうって思うのは良いけど、視野を狭くし過ぎるのも危ないからふわっと思っておくことにする。

 

 あぁ、最近FPSゲームしてないなぁ。ゲームしたいw

 OWの糞試合でもいいから……。まぁ、やることやってからだなぁ。

転機

 人生に転機なんてあると思う?

 本当の所、そんなものって無いんだよね。自分が意味を見いださないと。

 我が家は元号が変わった当日に家族全員が風邪を引いた。五月一日に同時に。それで私は友人と今日外出する予定だったんだけど、急遽延期してもらうことに。最悪だとも思えるけど、どうなんだろう。

 

 五月一日の夜。突然人生に起こりうるだろう最悪のシナリオが降ってきた。

 その時、体を横にしていても全身から血が引いたように冷えきって、あぁ今日は眠れないだろうなと、はっきり分かった。予想の通り朝方まで寒気が治まらないまま。早朝に少しだけ眠れた。そして午後から熱が上がりだし、夕方には友人に謝罪と断りのメールをおくることになる。 

 体の不調。これからの生活。今までの人生。周囲の人間と。それとこれから起こりうるだろう物事。

 涙が出なかったのが奇跡だったのか。泣くと言う行為すら出来ないほど辛かったのか。

 数字を頭のなかで数えても、深い呼吸を意識しても、湧いてくる不安はちっとも枯れず。その瞬間はまだ、何一つ奪われても失われてもいないのに、今にも全てを奪われるかのような恐ろしい妄想の迷路をさ迷うことになった。長い一晩になってしまったけれど、私はいつも通りの時間に目が覚めた。短いとはいえ、睡眠という意識の一時的断絶のお蔭で、多少ましになる。夜型でもない限り早く寝た方がいいというのは、まさにこんな事を回避する為で、先人たちも忠告してくれていることだ。(例えば夜に書いた手紙は、朝もう一度読み直せとか)

 はて、これを転機と捉えるべきか。

 捉えるべきだろうと私は思う。

 少なくともその長い晩の間、私は自分の人生に起こりうるだろう最悪の想像をした。そしてそれは、それ程突飛な内容でもなかった。現状を継続した先のそこそこ高い確率で起こりうるだろう未来。自然災害や交通事故などは除いた、ありそうな妄想。

 現状を受け止めなくてはいけない。問題点は十分見えた。後は一つずつ改善していくしかない。

 

 今のところ人間は死ぬ。不死はまだ現実のものになっていない。死んでいなければ、生きていなければならないということだ。

 これを転機に出来なければ、妄想が現実になるだけのこと。

 人生に転機があるのかどうか?

 妄想は妄想でしかなく、現状がそうなった訳でもない。

 生きている物は今にしか存在せず、行動出来るのはこの瞬間だけ。生きることは残酷だ。人生は不平等である。通り過ぎた道を戻ることは許されておらず、絶えず前進するしかない。兎にも角にもゴールする瞬間まで足掻くまでのこと。どうせ苦しむのなら、改善する方向で苦しんだ方がどう考えてもましなのだ。