年末
年末だからって掃除しようにもなかなか行動に移せない今日この頃。
禅の本を読みつつ雑念の払い方を模索しているが、それ自体が逃げであるのではとも思う。まぁ方法が間違っているとしても何もしないよりはずっとましだ。
日記がこんなにも飛んだのは、シャコバサボテンの蕾が一つも開かずに全て落ちてしまったころくらいからだ。実のところ妹がハオルチアの鉢をひっくり返してしまって、手入れしないといけないんだがそれも手を付けてない。見よう見まねで座禅を組んでみても一向に集中できずに雑念に振り回されている。そもそも座禅なんてせずとも日々を大切に生きてさえいれば学べるものも多いはずなんだけれど。
目前の一日を考えるよりも、どうしてか過去に未来にと考えが走り。一番大切なものが置いてけぼりになっている。去ったものばかりを考えてしまうのは人の性なんだろな。
歩くスピード
人間ってそれぞれ歩くスピードが違う。
それは目に見えて分かることだからか責められることがほとんどない。でも学習だとどうだろう。学校教育だと同じ教科書を同じスピードで学んでいく。しかし歩くことと同じでその速さには違いがある。社会に出ると一人前程度になる前での時間に差が出てくる。ある一定の水準に到達することのできない人もいる。
それぞれ違っていいとは言うが、その差は何と言われるだろうか。
色々あると思うが、へこたれずに目の前の事をやっていくしかない。それで駄目ならまた違うことを考えよう。周りが急かしてくることもあるだろうが、傷ついてしまうくらいならそんな言葉には耳を貸さなくていい。自分の手元に集中しよう。だってそのまま進むことの苦労も、諦めてしまう悔しさや悲しさも、全部自分だけが抱えるものだから。
チューリップ買った
今日息抜きにホームセンターで球根を買ってきたw
でも普通のやつはやっぱり時期が外れてて、もうすでに売り場が撤収されていた。ので、残っている奴に割引シールが貼って売ってあったやつを購入。名前は書いてないんだけど、原種系チューリップのミックス3割引を選んだ。なんか植えっぱなしで毎年咲くらしいけど、どうせ植えるなら開花したら早めに花をカットして父さんと母さんの遺影の前に飾って球根が痛まないようにしたい。そうすれば綺麗な花を長く楽しめるんじゃないかなとw
あと散歩中に拾った楓科の種をもう1種類植えてみた。趣味盆栽ですとか言えるようになりたいな。芽吹くといいんだけど。
植物が好きになるとあれこれほしくなるのが本当に困りもの。どれも丁寧に育てていれば長く楽しませてくれるからなぁ。因みに割引シリーズは今回のチューリップが咲いたら4種になってしまうw
今回植えるチューリップは原種に近いからなのかお店で売っているものよりかなり小ぶりなのが気になる。本当は一色でシンプルなやつが欲しかったけど。これもまた縁だと思うことにしよう。
合う合わない
負のループに入るときの入り口は些細な苦手意識からだったりする。
人の視線が怖いとか、相手の顔色を窺いすぎるとか。
回避行動。逃避行動は最初は小さなことから始まり、それがだんだんと重症化していく。時に逃げるのも大切なことだけれど、それはあくまで選択肢として頻繁に選んでいいものじゃない。
メンタルの勉強をしていたら分かったことがある。
それは自分に合った本や人を見つけることの重要さだ。
今も心理学の知識は更新されているとはいえ、おおよそこうすることが望ましいというものは確立されている。だから似たり寄ったりの本がたくさん世の中にあって、すでに知っていることがほとんどだ。しかし書かれたり発せられたりする内容が、どの人を通されたかによって感じ方が大きく違ってくる。
優しく諭す人。叱咤激励する人。淡々した人。それから自分の経験だったり宗教だったりに絡めてくる人。
出口は大体同じだけれど、入り口が無数にあるといってもいい。
例えば → 習慣というものはとても重要なものだ。習慣が人生を作る。
だからだらだら毎日を生きてるんじゃない。今行動しないでどうする。
だから小さなステップからやってみよう。やってみることが大切なんだ。
二通りとも同じことをいっている。
つまり、立ち向かう姿勢をとることがその状況を脱する手段だ。だから行動しよう。それまでの人生と同じことをしていても、人生も環境も変わらない。望む未来があるのなら今の行動をそこに向かって変えていこう。ということだ。
どちらがより受け入れやすかっただろうか?
心身が疲弊している人や、若さや力にあふれている人。これまでが駄目だと思っている人、これよりももっと成長したいと思っている人。意気消沈した人や、ある程度安定した心を持った人など、それぞれ状況が全く違う。そのなかで自分がどんな人間なのかをおおよそ知っていたり、同じような内容でも自分に合う合わないがあることを知っておけば、挫折する確率を下げることができる。
何かの本や人に触れたとき、自己嫌悪ばかりを抱かせるようなものは避けたほうがいい。それは相手の問題ではなく、自分の問題だ。今、速やかに行動に移し、望ましくない状況を止めたり改善するには立ち向かう勇気が必要だ。だから内容がいくらごもっともであったとしても、その勇気を挫いたり傷つけてしまうような意見は、自分がそれを受け入れられるようになるまで避けておいたほうが無難だ。
自己観察を日々やっていれば、参考にするものが自分にどう作用しているのかが見えてくる。愛読している本であっても、些かも実行に移せる気配がなかったり、読んで満足してしまうことを繰り返すならば、もっと違うものを探してみたほうがいいかもしれない。
トレード
久しぶりに株を購入しているんだが、ちょっと気になるのがあって。
なんだか不思議なもので時間を置いたからか、一歩引いた感じでチャートを見ていた。値が上がったり下がったりするたびに一喜一憂していたあの頃とはまた違った感覚だ。精神面がかなり重要になるトレードを今やっていいのかとも思ったが、何もしないままではいられないからなぁ。
勿論、逆指値は置いている。最低単元しか購入していないし、一銘柄のみだ。
週足をベースに日脚を見てのエントリー。日経はあまり考慮していない。昨日は上がっていたが今日は下がっている。さて来週はどうなるんだろうね。週足ベースだからすぐ手放すつもりもないけど、根拠が崩れたら速やかに手仕舞いだ。
父がまだすっかり弱ってしまう前は数か月しか生きられなんて思ってなくて、休憩時間にスマホの画面にかじりついていたけど、それがずっとずっと昔のように感じる。時間間隔がだいぶん狂ってるなw
ま、ぼちぼちやっていくことにしよう。
入れ替わる
逝ってしまった人と一緒にあった物が入れ替わっていく。自然な事なのにどうしてこんなにも苦しいんだろうか。生きていた時と同じように会話もできず。どんどんとその影を薄くしていく。しかもこの短期間ですらそうなのだ。写真ばかりが鮮明で辛い。
いつになったらこの思いでを一歩引いて見ることができるようになるんだろうか。時間が癒してくれるとは言うけれど、それがどのくらい先のことになるのか。