餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

父の病状

 昨日検査のために病院に行き、家にいったん帰るも夜高熱を出した。

 明らかに様子がおかしかったが本人は大丈夫だと言い張るばかりで話にならず。家は怒鳴り声やらで阿鼻叫喚となったw

 救急車を呼ぶか一緒に病院に行くかの二択だといっても本人は黙るばかり。手は震えているし、薬を飲まないといけないのにそれすら出来ず。では二度目測った時にさっき以上に熱が上がっていたら行こうといって説得するもそれも出来ず。最後は見てられないような言い合いの末やっと動いてくれた。

 それで今日の朝から病院に行き、そのまま入院。肺癌の可能性があるらしい。

 しかも普通の形状ではなく、ちょっと特殊なパターン。つまりレアケースかもしれないと。

 「では、検査しよう!」とも難しい……。

 何故なら父は間質性肺炎。長きに渡った喫煙歴もあって肺はぼろぼろ。普通の人とは比べ物にならない位脆く、硬いスポンジのようになっているらしい。肺にカメラを入れて検査という話が出だが、組織を取るときにその脆さや年齢がネックになってくるようだ。

 色々と説明されて以前も、まぁ長くないんだなと思ったが、それ以上にもっとずっと短くなるのかもしれない。

 

 不思議だ。ずっと死にたいという想いを抱えた個体が生き残り、老齢とはいえどまだ生きたいと望む個体が死んでいく。何故。何故私ではないのだろうか?

 弱音を吐いても仕方が無い事を知っている。現実は淡々と進行していく。私は置いていかれないように必死で追いつこうとするが、それがどうにも難しい。私は託す者もいない。これ以上生きていても仕方のない存在だ。人生を楽しめるほどの能力も無い。懸命に努力しても報われないことがある事を知っている。一人で生きる事の困難を知っている。これからの金銭的な課題も多い。社会的なシステムすら上手く使いこなせていない。

 これからしなくてはならない事を考えると何処かへ走りだしたい気分になる。

 耐えるしかない。乗り越えなければ結局そうするくらいしか方法はない。

 

 悲観的になって弱音を吐いて惨めになって。それで状況は変わるのか?

 答えは簡単。変わらない。全く何一つ。なにせ感情で世界は動いてはいないのだ。忍耐強く現状を打破すべく行動するしかない。偶然の中を綱渡りをするのが人生ならば、落ちてしまうまでは歩を進めること。生きている存在に強要されるシステム。

 なんにせよ前進するしか道はない。だから今日も行動を起こす。明日も明後日も。歩けなくなるまでは。