餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

同じ舞台に立ったら負け

 タイトル通り。嫌な人間が居たとして、それに敵意を持って接したらどうなるだろうか。きっとエスカレートしてしまうだろう。

 ならばどうすればいいのか。

 居ないものと無視しようにも、協力して取り組まなければならない事もあってそれも出来ぬ。

 相手の悪意に釣られてしまって己も愚痴を溢すようになれば、もはやドングリの背比べ。同レベルまで引きずり降ろされた証明だ。

 私自身人間の悪い部分を煮詰めて出来たようなものだから大したことは言えないが、悪意に悪意で返せば事態はより深刻になる。好意を持って接するのは無理だろうが、唾を吐きあいながら作業なんてできないだろう。だったらどうすればいいのか。相手は今日も人を馬鹿にしてケラケラと笑っている。

 さて、前提として相手を変えることはほぼ不可能だ。

 どんな人生を歩んできたのかは知らないが、人の失敗を笑うような人間は碌なものじゃない。同情すべき過去があったのかもしれないが、歳を重ねた今もなお己の行いを顧みもせずに突っ走ってしまったのだろう。もういっそ哀れである。そんな人間は回避すべきだし、全く接触を持たなくてよいのならそれが一番だ。

 どうしても係わらなければならないのなら、出来ればその場を脱出する努力をしよう。期限を設ければまだ我慢もできようというものである。そして脱出するには次が必要だ。良い方向へ前進する為の努力だと、この期間辛抱すれば良いと思えば、その人の存在もまた自分の人生にとってプラスになる。またその人を観察することで、そんな愚かな行為を続ければ、後々どうなってしまうのかも勉強できるかもしれない。まぁそれはかなり長い時間共に居なくてはいけないのでお勧めはしないが。

 好ましくない存在だったとしても、そこに在るものにそこをどけとは言えないのが人生。余所様の車のハンドルは切れないが、自分の車のハンドルであれば進みたい方向へと切ることが出来る。後はどれだけ真剣に自分の環境と向き合うのかにかかっている。人生なんてものはコントロールするのは容易ではないが、大凡の進行方向は決める事が出来るのだ。

 自分を大切にして自分としっかり向き合うことに集中すれば、好ましくないものからも何か一つくらい学ぶ機会になる。

 自己否定ばかりしていないで、なんて自分は人間らしいんだと開き直るのも良いだろう。そして出来るだけ良い方向へ進めるように、一日一日をしっかりと踏みしめて行こうと思う。