餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

承認欲求

 人間なんて小さなもので、代替のきくものだ。

 世にあるものは形を変えていずれ去っていく。目に見える変化はなくても刻々と進んでいっていることに変わりない。

 生きている間はトライ&エラー。環境が変わるならその場にいるものも変わっていく。

 だから思想や理想や信念を外に発信してもそれほど意味がないのかと最近思う。

 それは変わっていくものであるし、また変わってほしくないのなら無暗に外部の評価にさらすべきものじゃないから。

 なのに不思議なもので外に発信したがる。理解を得ようとする。

 自分に配慮してほしいと思っている。しかし、外的な要素にそんなものを求めても往々にして良いことはないのだ。

 自分を観察していれば人間がいかに都合よくかつ、気まぐれで動いているのが分かる。癇癪を持ち、嫉妬してどうして上手くいかないんだと地団太を踏む。表面に出ていなくても、腹の底では色々な感情が渦巻いている。勿論全てがそうではないことも分かっている。しかし、自分すらままならないのに、昨日の反省を上手くいかせず日々悩んでいるのに、もっと遠い他人が思う通りに動いてくれるだろうか?

 

 目標は他人に理解してもらうものでなく、自分だけが分かっていればいいものだ。信用できる協力者にだけこっそり共有すればいい。

 意思を全く発信しないことは間違いだが、たいして信用もならない人間に認めてもらおうとすることも同じことに違いないと思っている。