外出
段々と日記を書く間隔が開いてきたなw
今日は友人とお出かけして本を一冊買った。ついでに人間観察。
『「死」とは何か』とか、アドラーとか色々読んだ。
合理的に考えられるようになったらもっと生きやすくなるんだろうな。その逆の効果もありそうだけれど。
人間感情的になるほど、正常な思考から遠ざかっていく。複雑に考えて回り道して、よく分からないままに本心に振り回される。自分から迷路に飛び込んで色々な物を見えなくしていく。シンプルに自分だけを見つめられたなら、どれほど生きやすいだろうか。居もしない亡霊に悩まされなければ、きっと息もしやすいだろうに。
人間死ぬ時は死ぬ。転がりだした石は止まらない。
それに責任を負おうとしたところで、その命一つ分で賄える分だけなのに。際限なく責任を負うこなんて誰にも出来ない。守りたいものが(例えば家族とか)あっても、守れるものしか守れない。一つも無理なこともあり、全部を守れることもある。
人生は有限で、時は止まることなく流れ、誰も彼もが終わりへと向かって進んでいく。
取り返しがつかなくて、やり直しがきかない。
道路を歩いている人、買い物に来ている人、仕事をしている人、それぞれがその地点まで何かしらの過程を経て辿りついた。背が曲がっている人、綺麗な身なりをした人、肩を張って歩く人、いかにも疲れている表情をした人。人、人、人、人。いくら似通っていようが、その瞬間に行き着くまでに、どこかしら異なった道を歩いて来た人達。
人口が減少しているといった所で、右を見ても左を見ても何かしらの活動をしている人達が、気の遠くなるような数ほど存在している。
それが人の生存戦略なんだろう。優秀な人間だけ、美しい人間だけ、賢い人間だけ、強い人間だけ。そうはならなかった。
ばらばらにした。そこには目に見えないものも含まれる。不幸を感じない、どんな目にあっても幸せを感じられる。そうはならなかった。幸福度は個人にも環境にも左右される。寝る場所があれば幸福だと感じる人間がいる一方、高層マンションに住んでいてもまだ足りないと言う人がいる。比べて劣等感を抱く人も、野心を燃やす人も、そんな事に興味もなく生活する人も。無数に、似通っていても完全に同じではなく。
そうでいて奇妙なことに、同じ括りを作ろうとする。規定で、服装で、統制のとれた行動で、信仰で。集団をつくる。
デコボコの道をなした砂利道を、均して固めて覆って。誰それさんという情報はそこには必要なく、役割を果たせるものであればいい。特に外側に居る人間からは、統制のとれる段階に至る過程など興味もなく、上手く動いてくれるのであればそれで構わない。
私は集団が苦手だ。特に自分がその中にいると自覚すると、気持ち悪くてしかたが無くなる。同じ作業服を着て帽子をかぶり、作業前に並んでするラジオ体操に嫌悪を抱く。
私は人として上手く生きてこれなかった。
外出する時に首を傾げる。何でこの人はこの地点まで生きてこれたんだろうと、疑問を持つ。マナーが悪くても常識が無くても人は生きていける。優しくても、強くても、お金があっても人は死んでしまう。スタートからゴールまでの過程と距離は誰にも分からない。
合理的に考えられたなら、もっとずっと生きやすいんだろう。
迷子になることもなく、淡々と歩ける所まで歩いていけるんだろう。進めなくなればそれまで。どれだけ笑っても、どれだけ泣いても、どれだけ怒っても、それまで。
シンプルであれれば、合理的であれれば。少なくともどうして人間に産まれたのかだなんて、どうにもならない疑問なんて持たずにすんだろうにと思う。