餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

強すぎる痛み

 二月中旬、かなりの痛みに襲われて心身ともに生きる気力を損なってしまうくらいだった。なぜこんなに痛いのに死んでないのかが不思議で、つまりそれ以上の痛みがあるということで、そんなことが頭から離れなくなった。痛みの基準なんて分からないから、自分が大袈裟に言っているだけなのかとも思うと情けなかった。痛みまで他人と比較しようとする自分が嫌だった。

 それから今度は花粉症になった。まぁ病院で検査をしてもらって結果が出たということだが。以前から多少はあっただろう症状が突然酷くなり、その日は仕事を早退させてもらって病院に行った。薬を処方してもらい劇的に状態は良くなったのだが、それでも毎年こんな目に合うのかと思うと気分は沈む。

 腰痛といつまでも本調子に戻らない胃腸に苦しんでいる。

 トレードは珍しく調子が良かったのだがネガティブニュースで利益は飛んでしまった。

 瞑想もフラッシュバックが起きてまともに出来ず、それでも続けようとしたが腹痛から一端断念。早朝の勉強も中断され、集中することがまた難しくなった。友人からネガティブな事を言いすぎだと注意される。注意してくれる友人がいてくれた事がありがたく、同時に迷惑をかけていることに落ち込んだ。

 以前からずっとネガティブな事を言わないようにしようとしているのに、それが異様に難しい。だから他の事に意識をやろうと本を読んだり手帳に書き込んだりトレードの勉強をして回避しようとしたら、今度は思いつめた顔をしていると言われて凹んだ。

 確かに思いつめてはいる。なんでこんなにもと思う。

 だが沈みきったら後は浮上するだけだ。沈んだままでいられない。よかれあしかれ。一年とかで考えたら年が明けてからの自身の状態が長く感じる。だがまだ数年、数十年と生きるのなら、私の今のこの状態は一瞬の事だ。現に私は今ブログを更新するくらいには回復している。

 生きる気力がほぼ尽きてしまってから異様に物忘れをするようになった。体調はより悪くなり、痛みから体を屈めるものだから姿勢も当然悪くなった。小さなことがとても大きな事に思え、絶望が深くなるばかり。

 

 そんな私を支えようとしてくれる人がいることが、嫌だった。なぜと、思うのだ。自分のような人間といても損しかしないだろうにと。最近ではこんな人間が周囲に居たら距離をとれ、なんて動画が流行るくらいだ。内容を見ても納得がいく。だから自分が居ないほうがいいだろうとぼんやりと思うのだ。その癖、見捨てられる事を考えてぞっとする。自分を嫌いになる要素には事欠かない。

 でも何度も書いているが、そこにずっとは留まれない。留まろうとしても出来ない。やっぱり周囲の大切な人と楽しく暮らしたいし、望む未来に向かって進みたい。今までもどうにかこうにか生きてきた。その間気分が浮上することも沈むこともあった。いずれ助けてもらった恩を返したい。支えてもらった分以上、支えられる人になりたい。自分の持っている体質、思考、偏見。全部投げ出したくなるが、受け入れたり立ち向かっていく他ない。トレードでも生活でも成長していきたい。再スタートを何度もしている。行きつ戻りつ、自分では何が変わったのか全く分からない。だが変化は当然起こっている。