餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

決めること

 この休みの期間をどう使うか。

 自分で決断すること。

 

 私は自分で決めることが異様に苦手だ。だから何事も中途半端で終わってしまう。

 途中で止めることが悪いとかいうことじゃない。止めると決めずに、あるいは諦めようと決断せずに有耶無耶な内に終わってしまうことが良くないということだ。進むにしても戻るにしても止まるにしても、自分の意志で決めたことだという自覚があるのとないのでは結果に雲泥の差が出ると思うのだ。

 自分で決めた自覚があるなら、その結果を受け止めることもできるだろう。誰かのせいにすることも少なくなるはずだ。誰かの意見を聞くにしても、自分で聞くことにしたと思えば助言をくれた相手を恨むこともないだろう。

 だからこそ決めることが怖い。誰かのせいにすることも出来なくなるし、どんな結果でも受け入れなくてはならなくなるから。

 

 自分で決めようが決めまいが、物事は進んでいく。それは絶対だ。だから自覚があろうが無かろうが人は常に選択している。悩むことを選択して、行動しないことも無自覚な決断だ。それはほぼほぼ逃避であるのだけれど、防衛であったりもするから悪いとかそういうことじゃない。誰かを責めたり言い訳しないとどうにもならないこともある。ただまぁ、やはり自分で決断していったほうがいいに決まっているのだ。

 

 私にとって、決めるということは本当に苦痛だ。

 ずっと親に依存したままここまで歳をくってしまって、恥ずかしい話だが泣くほど辛い。甘ったれて今まできた付けともいえるけれど、そんな風に自分を責めても仕方ない。辛いものは辛いのだ。そうしてズルズル長引かせたほうが後から苦しいとも知っている。というか何度も何度もそうだったのだ。私の人生は決断の先送りの結果に近い。立ち向かってこなかったか、思考停止していたのか。

 まぁこのくらいで自己嫌悪はよしておこう。

 怖いものは怖い。だからおっかなびっくり進んでいくしかない。あまり大きな影響の出ないものから自覚的に決断していく訓練からやっていく。その先に何があるのか、本当に出来るようになるのか。分からないが進まないといけないのは誰しも同じことだから。自分なりの方法で、自分なりの手段で地道に進んでいこう。