餅による恣意 

ゲームとか、株とか、本とか(^u^)

料理

 ザクザク切って煮たり焼いたりくらいで、テレビで毎日メニューを考えていると聞いて心底驚いた。そして大変だなと思った。私は日々のご飯は味付けの傾向や、使用する食材をそこそこ変えるだけで手の込んだ料理なんて作らない。食物繊維とか、栄養が取れれば十分だと思っている。料理本も何冊か持って入るけれど、それも書かれた物をそのまま作ると言うよりもそんな風にも出来るんだ程度にしか見ていない。

 大抵冷蔵庫にあるもので何を作るか直前に決める。だから週末に買いだめして足りなくなったら仕方なくお店まで足を運ぶ。後は安くなっている野菜とかで簡単なものを作る。家族が健康を維持できるだろうくらいの想像でやっているから、もしかすると塩分やら糖分やらバランスやらが少なかったり多かったりするかもしれない。だが、私はそこまで考えない。煮魚なんかを出す時に、骨に気をつけろと忠告するくらいだ。

 そんな私も毎日毎日同じ味付けは耐えられなかった。母が料理を作れなくなって一時期父がやっていたのだが、それがまぁ同じものが永遠と出されるのだ。作ってもらった身で言うものなんだが、耐えられなかった。だから自分が料理当番を変わることにした。だから母親に毎日事なった名前のつくような料理を作ってもらえる家庭というものを羨ましがるよりは、主婦マジで大変だなと気の毒に思っている。

 誰かが用意しなければご飯は材料のままだ。しかも生とか。いや、買出しにいかなけらば生の食材すらない。調味料も全てがばらばら。味のついていない食材を齧り、塩でも嘗めるか?

 まぁ、毎日が奇跡のようなものだ。

 「当然」や「当たり前」は恐ろしい。何が恐ろしいってそのサービスが無くなった後だ。突然それらに時間を割り振らなくてはならなくなる。

 主婦が偉いと言いたいのではない。稼いでくる家長が偉いと言いたいのでもない。日常生活はそれぞれの役割分担で回っているから。

 たまには手を抜いた料理が出ても良いじゃないかと言いたい。まぁ作る側もプライドがあるのかもしれないが、時には焼いた肉に塩でも振って出したって良いじゃないかとも思う。例えば、弁当の中身が彩りが無く、記憶を遡って昨晩食べた物と一緒だなと気が付いても。